蝉フィクション

宝くじ1億円当てた男、砂吹(偽名)。彼に誘われた見ず知らずの4人の共同生活 in London. リアルタイム小説&ガイドブックの折衷案。

第8話「自分勝手な男が思う、自分勝手な他人の行動」

 

 

 

 

憶を一切忘れられない病気のせい
で、亡くなった妻の苦い思い出が生々

く蘇る。笑顔を強いてしまったことを

悔して、リビングの写真をしまった矢先…

  

 

 

 

olm-h.hateblo.jp

 

 

 

 

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最初に会った時から、不思議な青年だということは分かっていた。

 

彼の英語はめちゃくちゃだが、何故か伝わってくる。

 

彼の言わんとすること。そして、悪い人ではなさそうだ、ということ。

 

しかしながら、やることはいちいちクレイジーだ。

彼は次の日、両手に大きな白のペンキ缶を持って現れた。

 

 

 

 

「じいさん、これ塗るぞ」

 

彼はリビングの壁を指差した。

 

 「何をする気だ、いったい」

 

 聞こえてないのか、理解できてないのか、はたまた聞こえないフリなのか。

 

 

 

 

彼は机や棚などの家具も一人で庭に運び出し、シートをひいて、壁を塗り始めた。

 

塗装屋なのか。

 

それにしては、手際が良いわけでもない。刷毛の後も残っている。

 

少し心配ではあったが、言ったところでやめそうもない。しばし見守ることにした。

 

 

 

 

「いいか、触るなよ。ドンタッチミー。ドンタッチイット? まあ、触るな」

壁に触るなと言っているのだろう。確かに、ペンキ塗りたての場所にはDon't touch meとよく張り紙がしてある。壁の気持ちになって表現しているのは、日本人にとっては不思議なことなのかもしれない。

 

彼は夜遅くまで作業を続け、手や顔をペンキだらけにして帰って行った。

 

リビングを見回してみる。床や天井はまったく汚れておらず、あれだけムラがあった壁も、きれいに塗り終えられていた。

 

器用なのか。不思議な少年だ。

 

 

 

 

次の日の夜、彼はまたやってきた。

 

ペンキが乾いているのを確認する。

 

てっきり、写真を壁にかけていた為にできた壁の日焼けの後を、消してくれたのだと思っていた。

 

しかし彼はあろうことか、私が飾っていた写真を引っぱり出して来て、壁や棚や窓際、至るところに貼り始めた。

 

 

 

 

さすがに声をかけた。

 

「おいおい、話を聞いていなかったのか。私は辛いから写真を取り外したんだ。妻の笑顔は好きだ。だがそれを見る度に、最後の苦しい思い出を蘇らせてしまう。だから…」

 

アイノーアイノーと言って、彼は私の背中を押して、無理矢理、寝室に連れていった。

 

ここで待っていろ、ということなのだろう。

 

 

 

 

悪い人間ではないと思っていた。

 

少々手荒で、失礼な所はあるが、根は良い子なのだと。

 

歴史を知りたいと言って家に来るのも、話し相手になっていてくれたのは知っている。

 

だが、これはいくらなんでもひどいではないか。嫌がるのを分かっていて、自分の意見を通すのは、いささか独善的だ。

 

 

 

 

寝室の扉がノックされた。

 

彼に連れられ、リビングに戻る。

 

部屋を見て驚いた。

 

呆れた。どこから引っぱり出して来たのか、部屋中が写真で埋め尽くされている。きっと、家にある写真の、ほとんど全てがここにある。

 

 

 

 

そして、一つのことに気が付いた。

 

目のつく場所に、病室で笑う妻の写真があった。

 

それも、わざわざ大きく引き延ばして。

 

これは明らかに嫌がらせだ。

 

 

 

 

頭に血がのぼり、声を上げようとした。

 

抗議の声だ。

 

しかし、その前に彼はこう言った。

 

「いくつ、ある?」

 

 

 

 

何のことか分からなかった。

 

「写真がか? 知らんよ、たくさんだ」

 

「そうだ、たくさんだ。その中で、悲しい思い出はいくつある」

 

彼の質問の意味が分からなかった。私は首を傾げた。

 

 

 

 

「あんたは、奥さんの顔を見ると、悲しい思い出が蘇るんだろ。でも、いくつあるよ。そんなにあるか? ぱっと見、これだけだ。少ないから、引き延ばしておいた。全体のどれだけが悲しい思い出かは知らんが、奥さんはこれだけ写真の中で笑ってる。

 

悲しい思い出の写真を貼らないから分からないんだよ。飾るなら全部飾れ。毎日全部思い出せ。記憶の川とやらに、石をどんどん放り込んで、全部全部思い出せ。都合の良い思い出ばかり思い出すな」

 

 

 

 

彼は吐き捨てるように、自分勝手なんだから、と言った。

 

思わず笑った。

 

私が自分勝手だと思った人間からしたら、私の方が自分勝手だったようだ。

 

悲しい思い出だけに目がいっていたが、なるほど、笑っている妻は圧倒的だ。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

家に帰ってきた砂吹は、この2日に起きたことを目を輝かせて話した。

 

まるで、やんちゃな息子が冒険でもしてきたかのようだった。

 

さしづめ私は、はいはい、と聞く母親だ。

 

残念ながらうちの息子は純粋な少年ではない。性格のひん曲がったマセガキだけれど。

 

 

 

 

「というわけで、あのじいさんは涙を流しておれに感謝していたぞ。一生忘れないと、感動していた。いいか、ありのまま書くんだぞ。脚色はいらん、すでに完成された武勇伝だ」

 

「忘れられないのは、もともとでしょ。砂吹のせいじゃない」

 

「おかげと言え、おかげと」

 

そもそも、写真をそんなに張るならペンキを塗る意味なかったじゃない」

 

「バカかおまえは。キャンパスは白に限る」

 

 

 

 

私は、あからさまに白目を剥くようにして呆れてみせる。

 

「その言いたいだけのやつ、やめなよ。本当ムダ。ペンキもお金も時間も労力もぜーんぶムダ」

 

「ムダはお互いさまだろ。尊厳死をテーマに短編なんて書きやがって。いつか炎上するぞ。それほどの読者を集められたらの話だけどな」

 

 

 

 

 

 ロンドンに来て、何もすることがなかった私たち。

 

とりあえず、大家ヘムの笑顔を見るといって毎日家に通った砂吹。

 

短編をやっとひとつ書き上げた私。

 

ヘムとちがって、日付や曜日は忘れてしまうかもしれないけれど、きっと忘れられないスタートをきったことだろう。