蝉フィクション

宝くじ1億円当てた男、砂吹(偽名)。彼に誘われた見ず知らずの4人の共同生活 in London. リアルタイム小説&ガイドブックの折衷案。

第7話「これは罪だろうか。良かれと思って笑顔の搾取」

 

き家に日本人の男女が越してきた
。ボーイは個性的だ。毎日勝手にやっ
てきて、ひとり日本茶を飲んでいる。
そして老人の戯言に耳を傾けてくれる。

 

 

ヘム。

砂吹たちの大家、79歳、イギリス在住 

 

 

olm-h.hateblo.jp

 

 

 

 

彼が肩を抱くようにしてくれたおかげで、少し落ち着くことができた。

 

ゆっくりと、話してみよう。

 

10年も前に死んだ妻のこと。

 

しかし昨日のことのように鮮明に覚えている、妻の記憶を。

 

 

 

 

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彼女は看護士だったんだ。

 

常に、死というものを傍に置いて生きてきた。

 

ハードな仕事だ。

 

体力的なものだけじゃない。患者の話を聞いたり、最後を看取ることも少なくない。

 

 

 

 

私たちは高校の時から付き合いだ。

 

彼女は、看護士の仕事を始めるまでは、延命というものに反対していた。

 

とくに自分の場合は、癌になっても、抗がん剤は使いたくないと話していた。綺麗な時の姿だけ思い出して欲しい、と。

 

重病患者のドキュメンタリーを見た後。癌の新薬が見つかったというニュースが流れたとき。その都度、口癖のように言うもんだから、私も、万が一そんな状況になったら、彼女の意見は尊重しなくてはならない。そう感じていた。

 

 

 

 

看護学校を卒業して、彼女は看護士になった。

 

そして突然、長年にわたって主張していた意見を変えたんだ。

 

「なぜ皆が抗がん剤を使うのか。一つの答えが、分かった気がする」

 

彼女はある日、そう言った。

 

 

 

 

家族のため。それが彼女の答えだった。

 

自分が生きたいとか死にたいとか、綺麗なところだけ覚えていて欲しいとか、そういうのって、もうみんなとっくに超越してるんだ。

 

自分の大切な人に、頼むからそんなこと言わずにもっと生きてくれ、と言われたら、「生きたい」と思うものなんだ。

 

でもそれは、「生きなきゃ」かもしれないけれど、と彼女はつぶやいた。

 

 

 

 

それを聞いた時、私はどこか安心したものだ。

 

「だからね、病気になったとしても、生きられるだけ生きたいと思うんだよ。お金がかかるかもしれないけど、覚悟してよね」と片目を瞑る彼女は、最高にキュートだった。

 

 

 

 

2人が65歳になる年に、妻だけ癌になった。

 

そして彼女は、抗がん剤はやらないと言い出したのだ。

 

久しぶりに取り乱した。妻の癌はまだ重いものでもなかったし、高齢だったので、進行も早くはない。

 

私は彼女を問いただした。君はあの時、こう言っていたじゃないかと。

 

 

 

 

「気が変わったの。別に、自殺するわけじゃないわ」

彼女は平然とそう言った。

病気のショックで、人が変わってしまったんじゃないかと思った。

 

 

 

 

私は何度も何度も妻を説得した。

 

病状は軽くはないが、抗がん剤を使えばまだ十分可能性はあると。

 

彼女は「私は元看護士よ、それくらいは分かるわ」と言う。

 

頑固婆さんのように、何を言っても無駄だった。

 

 

 

 

それからは、毎日喧嘩をした。

結婚してからというもの、衝突したことなど、数えるほどしかなかったというのに。

お互い、引かなかった。

 

結局、彼女が折れた。

ある日突然、こんなのは私たちらしくない、と言い出した。

 

そこからの彼女は、憑き物が落ちたようだった。

突然、病室に櫛(くし)を持ってこいと言ったり、血色が悪いから頬紅が欲しいと言い出した。

 

何が何だか、分からない。

だが、元の明るい妻に戻って、私はほっとしていた。

 

 

 

 

彼女の表情は、病人と思えない程にくるくると動いて、私はそれらをひとつたりとも見落としたくなかった。

 

毎日病室に通って、妻の好きな花をいけて、たくさん写真を撮ったりした。

 

カメラは嫌がるかと思ったが、思いのほか彼女は喜んでいた。 

 

序所に弱っていき、髪も抜けたが、彼女はニット帽をかぶって、最後まで笑っていた。そして文字通り、眠るように息を引き取った。

 

 

 

 

妻が亡くなって、少ししてからのことだった。

 

以前、私の特殊な病を面白がったテレビ番組があった。当時取材を申し込みに来た若いディレクターが、突然また家に押し掛けて来た。

 

「奥さん、亡くなったんですね、ご冥福をお祈りします」彼は、パソコンソフトの定型文を読み上げるかのように言った。

 

「以前来た時に、奥さんにこっぴどく怒られちゃいましてね。生きてる間は顔も見たくないと言われましたもんで」

 

 

 

 

耳を疑うような言葉だった。

 

言われたから、何なのだ。

 

死んだから来たというのか。

 

私は我を忘れて怒鳴り散らした。ずいぶんと久しぶりに大きな声を出した。息が激しく乱れる。

 

 

 

 

 少し冷静になろうと、お茶を沸かそうとした。

 

そのとき、私はふと、あることに気が付いた。

 

ずっと隠し続けてきたつもりだった。

 

しかし彼女は知っていたんだ。私の脳の病気のことを。

あの不躾なディレクターのせいで。

 

 

 

 

いつから知っていたのだろう。

 

彼女の態度の変化について、私は考えてみた。

 

抗がん剤は、やはり使いたくないと言い出した。

 

それは、私がこの先の人生、彼女のことを鮮明に覚えているだろうことを、知っていたからだとしたら。

 

弱っていく自分を、記憶にとどめて欲しくないと思ったのだとしたら。

 

 

 

 

カメラが回っていると分かった瞬間に、髪型を気にしたり、今日は化粧をしてこなかったことを後悔する。女性とはそういう生き物じゃないか。

  

私は一方的に生を押し付けてしまったのかもしれない。

 

辛いときに辛いとも言えず、苦しい時に、私は暢気にカメラを構えて、笑顔を搾取してしまった。 

 

私は、言いようのない焦燥感に駆られた。遅過ぎる、焦燥だ。目の前が真っ暗になる思いだった。

 

 

 

 

記憶の中に、苦しんでいる自分が残るくらいなら、延命をしない方がいいと考えたのだろう。

 

それを私は許さなかった。彼女の苦しい時間を、延ばしてしまった。

 

彼女は拒まなかった。生きてほしいという私の願いも、分かっていたからだ。

 

自分が世話をしてきた患者たちと、同じ気持ちを、真に悟って。

 

 

 

 

リビングに一人。楽しい頃の写真が見つめてくると、辛かった。

 

それをきっかけに、悲しい思い出もたくさん蘇った。

 

それも贖罪だと思っていた。

 

しかしある日、部屋の写真をすべて取り払った。私は、罪の重さに耐えられなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「入院していた時の写真は、飾ってたのか」

 

ふいに、彼が質問をしてきた。

 

「飾るわけがない。そんなことをしなくとも、鮮明に思い出してしまうのに」

 

彼はすっと立ち上がった。

 

 

 

 

「ったく、年寄りはいちいち大袈裟なんだよ。まかせろ、おれに良い考えがある」 

 

そういって彼は、バンと音を立ててドアを開け、どこかへ消えてしまった。

 

 

 

 

olm-h.hateblo.jp

 

 

 

 

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