蝉フィクション

宝くじ1億円当てた男、砂吹(偽名)。彼に誘われた見ず知らずの4人の共同生活 in London. リアルタイム小説&ガイドブックの折衷案。

第1話「1億円が当たった男と英国生活はじめます」

 

  

すぐ偽名を考えろ。見ず知らずの
男がそう言った。平穏な生活から一転、
イギリスでの奇妙な共同生活が始まる。
1億持った、不躾で陰険なこの男との。

 

 

 

 

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当たったその日から、一般庶民どもがどんな行動をとるか教えてやろう。

まず、なけなしの金で、何十万もする耐火金庫を買ってくるんだ。

その当たりくじを死守するためにだ。

そして次に、家の鍵を変える。セキュリティに走る。

 

 

 

その時点で、当たりましたと近所に言っているようなもんなんだ。

公にするつもりなら構わないがな。

でも、金庫を買ってくる奴は、すぐに引き換える奴よりも、まだ少し冷静だ。

ちゃんと計画を立てるつもりがあるんだ、使い道について。

 

 

 

金庫なんて買わずにすぐに引き換えた方がいい、という考えは愚の骨頂だ。

1億が当たった、というのと、

今、自分の口座に1億ある、というのは、似ているようで全然ちがう。

受け取る前にするべきこと、調べるべきことがたくさんあるんだ。

 

 

 

たとえば、宝くじが非課税なのは有名な話だが、贈与税と相続税に関しては別の話だ。

もし子どもがいるなら、子どもと共同購入ということにできる。

子どもにも、当選証明書が発行され、金をあらかじめ分配できる。

もしこれをしないと、自分が死んだ時に、最高税率で55%、つまりおれの場合、5500万円を相続税で持っていかれる可能性がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

砂吹諒(すなふき りょう)と、このカフェで会うのは2回目だった。

相変わらず一方的にまくしたてて、質問する隙を与えない。

今日も、嫌みなほど白いシャツを着ている。

年下にも見える。しかしこの横柄な態度はいったい……

 

 

 

 

砂吹と初めて会ったのは、ちょうど一週間前。私は深夜のコンビニで、その日も働いていた。

 
最寄り駅から離れた場所に位置するそのコンビニは、終電が終わり、その最後の客が流れてくる時間帯を過ぎると、客足はほとんどなくなる。
 
私はレジで、月末締め切りの新人賞の推敲をしていた。
 
一度書き上げた原稿を何度も読み返して精度を高めていく作業だ。誤字脱字も見つけては、この段階で直していく。
 
 
 
 
「なにそれ、小説?」
 
細身で色白の男が、缶コーヒーを片手に立っていた。
 
 
 
 
「あ、すみません、気が付かなくて」
 
店内に人はいないはずだった。ドアベル鳴ったっけ、と思いながら、原稿を脇へ寄せて、バーコードをスキャンする。
 
「なにそれ、小説?」
 
おれ訊いてんだけど、という抗議を含んでいるのか、男は先程と同じ言葉を、同じトーンで繰り返した。深夜のこの時間帯に、ぱりっと糊の利いた白いシャツを着ているせいなのか、どこか現実味がない。
 
 
 
 
「ああ、まあ、そんなところです」
 
「どんなジャンル? もう長くやってるの? 次の締め切りはいつ?」
 
私は面倒なので最初の質問だけ答えることにした。
 
「今回は、ファンタジーです」
 
 
 
 
 
今回は? 私は言ってから自問する。ファンタジーしか書けないじゃないか。
 
「へえ、それなら今月末のファンタジア大賞か。何年投稿してるの?」
 
「今年で5年目、5回目です」
 
「全部で5回かあ、じゃあセンスないんだね。今度見せてよ」
 
 
 
 
私はその時、男の自然な口調に、いやですよ、と普通に答えそうになった。
 
「え、今なんて?」
 
「今度見せてよ」
 
「その前よ」
 
「ああ、センスないんだね」
 
「は?」
 
「だってそうじゃん。5年もやってるんでしょ?」
 
「あのね、小説家ってのは」
 
 
 
 
男は、こちらを見て微笑んだ。
 
よく見ると、整った顔立ちだった。短く切られた黒髪は本来なら爽やかな印象を与えるはずだし、鼻筋も通っている。
 
しかし、次の瞬間、口角の上がったその唇からは、信じ難い言葉が放たれた。
 
 
 
 
「驚くべきは5年で5回の投稿だということだ。君が趣味でやっているのならもちろん文句はない。ただ君が本当に小説家としてやっていきたのなら、1年で1本というのは筆が遅過ぎる。プロが3ヶ月に1本のペースで長編を書き上げているのを知らないのか。バイトをしながらという言い訳なら訊きたくない。なぜなら、プロの小説家でも小説1本でやっていけていけている人は全体の1割にも満たないからだ。皆、会社に勤めながら、コツコツと続けているんだ。君に小説のセンスがあるかは読んでみるまで分からないが、努力のセンスがないことは明白だ。だからおれが君に小説のセンスがあるかどうかを判断してやると言っている。小説を貸しなさい、今すぐ」
 
 
 
 
あまりの罵詈雑言の数々に、私は少しの間あっけにとられた。何かしら反論しなくてはと、やっとのことで口を開く。
 
「は、はあ? なんで見ず知らずのあんたにそこまで言われなきゃなんないの。あんたが私の何を知ってるって言うのよ」
 
「あんたが私の何を知ってるって言うのよ、という言葉の選び方でだいたい分かる。君は語彙や台詞回しが圧倒的に少ないし、何より想像力がない。たとえば、目の前にいる偉そうな男が、先程言った小説だけで食っている1割の人間かもしれない、ということは微塵も考えていない、そうだろう」
 
私はもう一度彼の顔を見る。見覚えはない。だが小説家のほとんどが顔出ししていないこともまた事実だ。
 
「そうなんですか?」
 
「貸しなさい。朝何時に終わるの?」
 
「9時ですけど」
 
「じゃあそこのカフェで待ち合わせしよう。朝食でもごちそうしよう」
 
 
 
 
あんな不躾な男が作家? まさか。
 
私は思ったが、それは原稿を渡してしまった後だった。
 
 
 
 
ーーーーー
 
 
 
 
「お疲れさん。何か頼みなよ」
 
はあ、と言って席に座る。モーニングのラッシュは過ぎているようで、カフェの中の人はまばらだった。
 
私は空腹だったが、おごられるのは借りを作るようでなんとなくいやだった。自分で支払うつもりで、カフェラテだけ注文する。眠気と疲れでふらふらした。
 
飲み物はまだ来ていなかったが、早く帰りたいと思う気持ちが強く、「どうでしたか?」と率直に訊いてみた。
 
 
 
 
「修正はしなかった、別のものになってしまいかねない」
 
「別のもの?」
 
「ああそうだ、船の思考実験と同じだ。たとえば、後の世代に保存すべき船を、朽ちたからといって部品をひとつずつ交換していくとする。すべての部品が新しくなった時、これが同じ船だと言えるかい?」
 
ああ、と私は思った。面倒くさい、一番嫌いなタイプの人間だ。理屈っぽくて、自分がいつでも正しいと思っている、自己顕示欲の塊だ。
 
 
 
 
「推敲はしなかったが、思ったよりも、おもしろかった。ただ、技術が圧倒的に足りてない」
 
 
「技術ですか」私は上の空で、運ばれてきたカフェラテをすする。ミルクの柔らかな舌触りと程よい温度に油断して、急に熱いコーヒー部分に触れて目が覚める。
 
 
「さすがに5年もやっているから、最低限の小説のルールは分かっているようだけど、視点がぶれている。ぶれ過ぎだ。マイクタイソンに打たれたとしてもこんなに視点はぶれない。三人称多視点で書かれているようだけど、視点移動が上手にできないのなら使うべきでない。新人賞では確実に不利になるからだ。あとは、君なりにテーマやコンセプトがあるのだろうけれど、それを主人公に言わせてしまうことほど、陳腐なことはない」
 
 
 
 
三井は一人でしゃべり続ける名前も知らない男を見つめている。本当に作家なのだろうか。ここに来るまでに作家の顔でも検索しておくべきだった。小説家、若手、ビッグマウス、イケメン、性格ブス、他にキーワードは……
 
 
「今回の応募はまず入賞しないだろう。そこで宿題と提案がある。まずは、小説のルールをもう一度勉強すること。それが終わったら、受かりたい新人賞の過去10年の受賞作品を読んで傾向を知ること。同時に、長編でなく、短編をいくつも書きなさい。環境の変化も必要だ。ロンドンに引っ越そう」
 
 
意外にまともなアドバイスをくれるのだな、と思った矢先、私は聞き捨てならないものを聞いた。
 
 
「ロンドン? なんでまた」
 
 
「イギリスは作家の宝庫だよ? シェイクスピア、コナンドイル、JKローリングもいる。それに君は人間としての経験が少ない。だから海外へ行くべきだ。幸運なことに、海外でも執筆はできる」
 
 
「お断りします。読んで頂いてありがとうございました」
 
 
私は原稿をひったくり、自分の分の会計を済ませて、足早にカフェを出た。

 

 

 

 

ーーーーー 

 

 

 

 

私の心境の変化にはある理由があった。

 

砂吹は未だに宝くじが当たった時の心構えを雄弁に語っている。私は遮るように質問する。

 

「もし私が本当にイギリスに行くとして、まず何をすればいいんですか」

 

 パスポートの期限はいつだっただろう、ビザは必要なんだっけ?

 そんな考えを巡らせていたが、砂吹は思いも寄らないことを言った。

 

「まず偽名を考えろ」

 

「はい?」

 

「なんでもいい。好きな女優でも、飼い猫の名前でも」

 

「……」

 

黙っていると、砂吹は怪訝そうに睨んでくる。

「そこは、『なぜ、猫を飼っていることを!?』と食い付くのが普通だろうが!」

 

「はいはい、小説を読んだからそう思ったんでしょ?」

 

面倒くさい奴だ。

砂吹が読んだ今回の小説には、猫の描写を多く取り入れていた。だから猫を飼っていると思ったのだろう。残念ながら私は猫アレルギーだ。

 

 

 

 

「なんで見ず知らずの私を選んだんですか」

 

「見ず知らずだからだよ。選ばれたなんて勘違いするなよ。あの小説から君の才能は微塵もうかがえなかった、二束三文にもならない代物だ。むしろあれだけの紙を無駄にして、地球に謝りたまえ。きっと今回も一次審査にも残ることはできまい」

 

本当にいちいち鬱陶しい言い方をしてくる。

 

「おれは決めたんだ。当選したことは、身内、友人、知人、誰にも言っていない。その代わりに、見ず知らずの君のような輩3人に、今回と同じような話を持ちかけている」

 

砂吹の話というのは、イギリス行きのチケットと家を世話してやるから、向こうで起きたこと全てを、このブログに書き起こせ、というものだった。

 

それも、三人称他視点で。

 

つまり、一人称「私は〜」と書けないのだ。

 

砂吹は先週、原稿の視点のぶれを指摘し、その練習になるからと誘ってきた。

 

 

 

 

 

「別に行ってもいいですよ。向こうにいても執筆はできるし。その代わり、ちゃんと1億あるんでしょうね。当選証明書とやらを、見せてくださいよ」

 

「残念ながら、ここにはない。通帳も何もかも、家の防火金庫の中だ」

 

「……」

 

「来月出発だ。偽名を考えろ」

 

「来月って、5月ですか? 頭だとしたらもう1ヶ月ないじゃないですか?」

 

「いや、ゴールデンウィークは航空券が高騰する。5月2週目になるだろう。もちろん、エコノミーだからな」

 

本当に1億当たったのか? と訝る。

 

 

 

 

しかし、少しの期待があるのも確かだった。

 

ファンタジー作家を目指して、中世ヨーロッパを舞台にしたことは幾度もあった。

 

その街並を、この目で見れる。

 

それに何といっても、あのハリーポッターの生みの親、J.Kローリングの住む国だ。

 

 

 

 

私は帰り道の空を見上げて、なんとなく清々しい気持ちになる。

 

そしてふと気が付いた。

 

猫を飼っていると思われるくらいに、私の描写は丁寧だったんじゃないだろうか。

 

たったそれだけのことだが、足取りは自然と軽くなった。

 

 

 

 

砂吹の名前を検索したが、そんな作家はいなかった。

偽名を考えろというくらいだから、すでにちがう名前なのかもしれない。

ももう、「私は」と一人称では書けない。

 

次回、第2話「はじめての偽名、決めました」

 

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